2014年3月28日の朝、それは突然の出来事でした。
4月が近い、とはいえ朝晩はまだ肌寒い時期の朝、私は自宅のベッドで目覚めました。
カーテンから漏れる日差しは明るく、春を感じさせる陽気の朝でした。
目覚まし時計の文字盤を見ると、7時30分くらいでした。

昨夜、会社の同僚と痛飲して、したたかに二日酔い。
ベッドの上で体が動かないのは、そのせいだと思い、暫しそのまま横になっていました。

それでも、目はさえて来て、出勤の時間も近づき、それとともに、体の異常が感じられるようになってきました。

最初に感じたのは強い吐き気。
そして、左腕の感覚の弱さ。

それでも私は、いつもより質の悪い二日酔いのせいだと思っていました。
それが、何か違うと感じたのは、目覚めてから1時間半以上経過した頃でした。

動こうとしても、左腕に力が入りません。寝た姿勢のまま体も起こせず、身じろきするばかり。
たまらなく吐き気がするのに、立ち上がることすらできません。
感覚の残る右半身を使って寝返りを打つと、バランスを崩してベッドから体が冷たいフローリングの床に落ち、それとともに堪えきれずに床に嘔吐しました。

それでもなお、吐き気はおさまらず、左腕だけでなく、左半身に感覚がないと気づきました。

自分の体に起こった異常が何なのか、まったく分かりませんでした。
分かっているのは、強い吐き気を感じること、左半身全体が麻痺して感覚がないこと、フローリングの床の上で、体から急速に体温が失われていっていること。

強い寒気の中で、どうにか体を起こそうとしますが、左半身全体に感覚がない状況ではままなりません。
近くにあったゴルフクラブや、何か使えそうなものを使って右半身の力だけで体を起こそうとしますが、起きられません。
そうして嘔吐を繰り返して。
気づくと、会社始業時間の9時をとうに回っていました。

そのうち、携帯電話が鳴り始めました。
でも、居間のテーブルの上にあるそれを取ることはかなわず、ただ呼び出し音を聞くだけです。
無断欠勤などしたことのない私を心配して、同僚が電話してきたことはすぐにわかりましたが、体は言うことを聞きません。

そうして体を起こそうとしては失敗し、嘔吐を繰り返し、体も冷え切った頃、床に横たわったまま思いました。

「そういえば、今日は午前11時半に社外でアポイントがあったんだった」

部下と一緒に、取引先の人と会うことになっていました。
しかし今はその11時半を過ぎる頃。
今頃会社では、私がどうしているのか、困った同僚が困惑しているのが想像できました。
それを思うと、何ともやるせない気持ちになりましたが、体も動かせない、携帯電話にすら出られない今の自分にはどうしようもありません。

それでも、私はおめでたかったと言わざるを得ません。
その状況でも、時間が経過すれば体調が回復すると、これまでの経験から無条件に信じていたのですから。
今の自分は、吐瀉物にまみれ、冷え切った、動かない体のままただ横たわるしかない危機的な状況だというのに。
この状況を引き起こしたのは、脳梗塞であったというのに。
壊死しているであろう脳、失われていく機能があることなど少しも思いませんでした。

私の頭にあったのは、「あーあ、こんなになっちゃってどうしようかな、この土日で体調を回復させて、来週頑張らなければ」といったことでした。
この日は金曜日、一人暮らしの私は、土日は家で一人。

本当にこの時、発見されなければ、私の命はなかった。そう思います。

ところが私は幸運でした。
12時30分を過ぎた頃。
玄関のドアが開く音がして、部屋に人が入ってきました。
隣に住んでいる叔母と、会社の社長と同僚。

そして、私の姿を見るなり、すぐに救急車を呼び、私は中野総合病院に救急搬送され、そのまま入院、治療を受けることになったのです。

後に聞くと、この時私を発見した社長は、私の顔色、姿を見て「死人のようだった、顔すら別人のように見えた」と言います。
後から思えば、小指一本で生きている世界に掴まっていたようなものです。
そう。その時私は、99%死んだ状態だったのだろうと思います。
脳梗塞の発症時間は分かりませんが、恐らく、最も発症可能性が高いと言われる、深夜から早朝でしょう、そして目覚めて異常を感じてから、実に5時間経過してから発見され救急搬送され、治療開始。
血栓溶解療法は、一般的に発病後4.5時間以内でないと実施できないそうですから、それもできず、再梗塞の危険もあり、これも後から聞いたところによると、救急搬送された後、応急処置を済ませた後、説明を受けた叔母と社長に、主治医の先生は、「今回壊死しているのは小脳です、しかし、脳幹の部分で再度梗塞が発生したら、覚悟をなさってください」と言われたそうです。
その時、自分は生と死のはざまでゆらゆら揺れるやじろべえのようだったわけです。

しかし、この時、何の連絡もなしに会社を休んだことなどなかった自分の様子に異常を感じて、会社のある池袋からここ中野の自宅まで社長と同僚が様子を見に来てくれなければ、私は100%命を落としていたでしょう。
ともあれ、私は深い眠りに落ち、点滴に繋がれて時々目覚めたり、ひたすら寝たりしながら1週間が経過し。

一命を取り留めて、長い回復への道を辿ることになりました。

■参考HP
「脳梗塞」
「脳卒中とは」