前回のブログで「次は精神的な影響もお話ししようと思います」と書きました。
それから半年、なかなかブログを更新できなかったのには理由があります。

実は、今だに、この「精神的な影響」については、今後どのようにコントロールしていったらいいのか、迷っていて、明確な方向性を自分に設定できていません。

でも、こうしてブログを更新してみようと思ったのは、おぼろげながらに今後の自分のすべきこと、目標、生きがいみたいなものがイメージ出来てきたから、文章にすることで、それを一度整理してみようと思ったからです。

そう、実はこの半年の間、精神的にはとても不安定でした。

2014年3月に脳梗塞で倒れ、3か月の入院、リハビリ、さらに3か月の自宅療養を経て、フルタイムで職場復帰したのが、2014年11月。その後の数か月も、精神的に何ら迷いはありませんでした。

その時の自分は、仕事に飢え、ただひたすら健康を取り戻して、仕事に復帰できることだけを目標に日々生活していました。
迷いもなく、やりがいはあって、必死でしたけど、生活に対するモチベーションが高く、それはそれで充実した生活でした。

しかし、仕事も通常通りこなせるようになり、生活にも不自由がなくなるまでに回復した2015年春以降、こんな気持ちが湧き上がってきました。

「自分は何のために、日々生活しているのだろうか」

ほぼ不自由がないほどに回復したとはいえ、定期的に病院にかかり、毎日薬を服用し、「健康を維持するため」の毎日。

もちろん、脳梗塞で倒れたのに、これといった体の麻痺や後遺症もなく、仕事も失わずに済んで、日々何ら困ることなく生活できているのは、本当に幸運ですし、有難いことです。

でも、妻も子供もいないひとり暮らしの自分は、この当時、生きるためのモチベーションを見失っていました。
これではまるで「死なないための生活」ではないか。

そんなことも頭をよぎりました。

そして、思い返したのは、リハビリ病棟にいた時に同室だったお年寄りの言葉です。

「実は、あまり退院したくないんです。なぜなら、この病院にいる方が便利で、人にも囲まれていて気が紛れるから」

当時、一刻も早く自宅に帰りたかった自分は、その言葉にはっとしました。

人間は「ただ生きている」だけでは、生活していくことが難しいことを知りました。

いや、本来なら、命拾いをして再び社会復帰できたことを喜びに変えて、今ある命を、会社や社会のため、周囲の人のために生かして、日々生活していくべきなのは、頭では十分に分かっています。

でも、実際には、生活のほとんどは不便なくできるとはいえ、重いものは持てない、バランス感覚は悪い、脳梗塞で倒れてから、発見されるまで5時間半経過していただけの、ダメージは体に残っていたのです。

そして、精神的な落ち込みは、負のスパイラルになって、さらに自分を追い込んでいきました。

このまま生活をしていったとして、将来自分は何を楽しみに、生きがいに生活していったらいいのだろう。
ただ毎日生きるために生活を送り、静かに一人で人生を終えていくのではないか。

そんなことを考えました。

本当に、退院直後が嘘のように、この時期は目の前があまり明るくなかったです。

それが、少しずつ変わってきたのは、この春前の事でした。

次回以降、それをお話ししようと思います。