退院を前にしたある日、リハビリ中の事でした。
STさんとのリハビリを終えて、病室に戻ろうとしていたところでした。
「いよいよ退院ですね、でも、道路は凹凸があったりちょっとした段差が多いし、滑ったりもするので、靴は滑らないものにしてくださいね」なんて言われて、私は室内履きのソールがどうなっているのか見るために、立ったままひょいと右足を上げて足の裏を見ようとしました。
当然、バランスを崩して転びそうになり、それでも何とかすぐに足をおろして転ばずに済み、ほっと胸をなでおろしました。
入院してから、看護師の皆さんや主治医の先生から何度も言われていたこと。
「転んだら退院は伸びますから、気を付けてください。」
そして、入院しているとき、看護師さんから何度も聞いた話です。
「退院が決まると転ぶ患者さんが多いんです」
今までは、それは油断のためだと思っていました。
転びそうになって、病室に戻り、どうして自分が転びそうになったのか、考えました。
そして、気づきました。
「この病気では、退院が、イコール病気の完治を意味しない」
ということを理解しないと、油断が生まれるのだということを。
誰しも、退院を告げられたら、安堵するでしょう。やはり自宅に戻って、ゆっくりとリラックスして生活したいと思うでしょう。
そして、自分はもう病気ではないのだ、と思ってしまうことでしょう。
自宅に戻れるということは、自分の体調も、普通の生活に戻れる程度に回復しているのだと思うことでしょう。
でも、違うんですね。
この病気では、退院というのは「ADLが自立して生活できるところまで回復した」ということなんですね。
確かに、もう病院にいる必要はない、でも、梗塞で失われた脳機能がある、という事実は厳然とあって、それをリハビリで徐々に回復させ、何とか生活できるレベルになり、その結果退院、ということなんですね。
自分はそこをよく理解していなかったから、油断した。転びそうになった。そういうことなんです。
その時思いました。
「退院して普段の生活に戻ったら、不便さをそこかしこに感じることだろうけど、それを工夫して克服していくのが、これからの人生なのだ」
ということを。
退院の朝、薬をもらうための病院の予約票、脳梗塞の原因のひとつである不整脈の検査のための循環器科がある病院への紹介状をもらった後、親戚と共に、自宅までの道をゆっくり歩いて帰りました。
2014年6月30日。天気は良く、暑い日でした。
以前なら歩いて20分の自宅までの道を、35分かけて歩きました。
坂道が足に負担でした。
車通りのある道は、危険を感じました。
ちょっとした段差を超えるだけで苦労しました。
ここは病院ではなく、それゆえ傾斜も段差も普通にある、ということを感じながら帰宅しました。
そして、3か月ぶりの自宅へ。
まず、病院から持ち帰ったものを整理して、洗濯機を回し、掃除機をかけました。
窓を開けて換気して、部屋の空気を入れ替えました。
そして、自分で昼食を作って食べ、パソコンを起動してメールをチェックし、会社宛にメールを送りました。
薬を置く場所を決め、少しゆっくりしてから明日以降の予定を立てました。
これからはすべてを自分で考え、行う必要があります。
リハビリのためのいろいろなこと、体調管理、生活の諸々。
そうしたことを考えると、今までの人生と、これからの人生は全く違ったものになると、そう思いました。
ともあれ、こうして自分は退院にこぎつけました。
■参考HP
・若年性脳梗塞になってみた
・退院に向けて
[2015.3.22]