さて、ようやくベッドから身を起こせるようになり、大部屋に移されるようになる以前は、食事の時間になると、車椅子に乗って食事スペースで他の患者さんと一緒に食事をしていました。

食事開始の15分前に食事スペースに移動し、それぞれの患者さん用の食事が配膳され、自分で食べられる人は自分で食べて、介助が必要な人は介助されながら食事をする。

私以外の患者さんは、ご年配の人が多く、お子さんが介助しながら食べている人もいれば、食欲がなく食が進まない人がいたり、やや回復が早い人は、さっさと食べてゆっくりしている人もいました。

この時、自分的につらかったのは、食事を終えても、看護師さんに車椅子を移動してもらわないとベッドへ戻れなかったことです。
食休みしかすることがない、手持無沙汰の時間が多かったのです。
様子を察した看護師さんが、病院にあった雑誌を勧めてくれて、それを読んだりしましたが、まだ明らかに回復途中の体に比べて、気持ちの方が回復してきており、普通の事が出来ない自分に焦りが生じ始めていたのです。
当時44歳だった自分が、ご年配の患者さんと同じペースで入院生活をすることが、わずかずつストレスになっていたのかも知れません。
もっとも、焦らずゆっくり回復していくことが大事であることも感じていて、焦る気持ちは抑えて日々過ごしてはいましたが。

ともあれ、大部屋で、自分のベッドで食事をするようになってからは、自分のペースで食事を終え、看護師さんが持ってきてくれる薬を服用し、その後は見舞いの人が持ってきてくれた雑誌を読んだりして、自分のペースで過ごせるようになり、とても快適になりました。

この頃、自分の勤務先で作っているクロスワードやナンプレの雑誌の問題を、リハビリついでに解いて遊んでいましたが、まず字が満足に書けないことがショックでしたし、思考力も大幅に低下していることも分かってショックでした。
例えばナンプレは通常、6レベルくらいの難易度があるのですが、病気前にはレベル5か6の問題もすらすら解けていたのに、この頃はレベル2とか3の問題で頭を悩ませていました。もちろん数字ですら、書くのは難儀で、読めないような数字が並ぶばかりでした。

文字に対する集中力、思考するスタミナ、問題を解くためにあれこれ考える融通性、文字を書く手の筋力、どれもが低下していたのです。

しかし、この、発病から10日経過後くらいから、病院内でリハビリが始まりました。
週に5回程度、筋肉のリハビリをして、立ち上がったり歩いたりできるようにする、理学療法士(PT)の方のリハビリと、手の作業の回復をめざしたり、しゃべること、書くことの回復を目指す作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)を同時に行うリハビリが始まったのです。

一日で両方のリハビリをすることもありましたし、どちらか片方だけのリハビリの時もありました。
PT的なリハビリでは、マットの上でマッサージをし、四つん這いで動いたり、その状態で片手、片足を上げてバランスを取ったりすることから始めましたが、最初はただ四つん這いになったり、軽く腹筋を刺激するだけでとてつもなく疲れて、今更ながらに自分の筋力、体力がすさまじく低下していることを認識しました。

また、OT、ST的リハビリでは、最初は平仮名さえも書けず、小学一年生の書き方のテキストのようなものをなぞったりしても、まるで読めない字しか書けませんでした。
右から左にブロックを移動させたり、簡単な手の動作もままならず、筋肉をコントロールする機能が失われているのも痛感しました。

しかし、PTさん、OTさんのお陰で、一週間もすると、自分で立ちあがることができるようになり、歩行器や杖を使用して、PTさんの介助付きで少しずつ歩けるようになりました。
まるで読めないような字しか書けなかったのも、徐々に回復して、何とか読める文字を書くことができるようになり、言葉も以前より明確に発声できるようになりました。

最近、やはり脳梗塞を起こして入院したタレントの磯野貴理子さんが、このリハビリを称して「簡単すぎる」と言っていましたが、彼女は早期発見でそれほど症状が重くなかったのも幸いしていたのでしょうが、確かにこの時期のリハビリは、簡単すぎるくらい簡単なものです。
しかし、この時の自分には、とても難しい作業でした。

ある意味、リハビリを通じて、その時の自分の状態を知ることが出来たのです。
「こんな簡単なこともできないのか」と。

しかし、日常生活では、トイレには連れて行ってもらう必要がありましたし、当然入浴も介助付でないと無理、自由に病室を出て動くことはできず、まだまだ体の機能は不十分でしたが、それでも、リハビリを通じて回復が感じられたことは、当時の自分に大きな希望と、回復へのモチベーションをもたらしました。

ベッドの周りには備え付けのテレビがあり、カード式で見ることが出来ましたが、自分はあえてテレビを見ませんでしたし、自分が快適に過ごせるよう、いろいろなものを揃えたりもしませんでした。

そんなことをすると、この環境に落ち着いてしまい、退院へのモチベーションが低下するかもしれないと思ったからです。
ここは自分がいる場所ではない。だから、このちょっとした不便を我慢してリハビリに臨み、早く回復して退院する、という気持ちを維持したかったのです。

なぜかと言えば、この頃、まだ自分には、社会復帰へのスケジュールや方法が全く分かっていなかったからです。

リハビリを始めて回復の手ごたえはある、しかし、いまだに車椅子でしか移動できないし、おむつを当てている状態で、入浴も一人ではできない、つまり、身の回りのことが何も一人でできない状況では、仕事はおろか、自宅での生活だってまだまだ不可能です。

でも、先が見えなくても、希望は持ち続けないといけないと思っていました。
家族がおらず一人暮らしの自分が社会復帰するには、身の回りのことが出来るようになり、再び仕事に臨める体調と能力を獲得しないといけない、そのために、例えまだ先は見えなくても、モチベーションだけは失ってはいけないと自分に言い聞かせていました。

だから、日々のリハビリ以外にも、パズルを解くのも日課にして、考えること、書くことの訓練をし、携帯電話のメールで知り合いとコミュニケーションを取りました。
最初は一通の簡単なメールを書くのに40分かかっていたのが、やがて30分になり、15分になりました。

そうして、リハビリも軌道に乗り、自分の毎日にも回復への日課が出来てきた頃、転院の話が舞い込んできました。

脳梗塞の場合、救急治療がうまく言ったら、早期にリハビリを始めることが重要で、そのためには、今いる救急病院ではなく、リハビリテーションを手掛ける病院に行くことが望ましいとのことでした。

すぐに親族や主治医とも相談して、周辺のリハビリが出来る病院を探し、入れるかどうかを調べました。
近くにある病院が候補だったので、親族に見学に行ってもらい、環境を見て貰いました。しかし、今は空きがないということで、ベッドの空き待ちとのことでした。

そうしてベッドの空きを待ちつつ、転院の時期を迎えることになります。

■参考HP
「脳卒中のリハビリテーション」
「PT、OT、ST」
「急性期リハビリテーション」

ナンプレ広場(インテルフィン・刊)

【2015.01.21】